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東京高等裁判所 平成6年(行ケ)204号 判決 1996年11月05日

アメリカ合衆国

カリフォルニア・90048 ロス・アンジェルス・ベヴァリー・ブールヴァード・8700

原告

シーダーズーサイナイ・メディカル・センター

同代表者代表取締役

ポール・イェガー

同訴訟代理人弁護士

品川澄雄

同弁理士

青山葆

田村恭生

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官 荒井寿光

同指定代理人

柿崎良男

花岡明子

関口博

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

この判決に対する上告のための附加期間を90日と定める。

事実

第1  当事者の求めた裁判

1  原告

「特許庁が昭和61年審判第24137号事件について平成6年5月9日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

2  被告

主文1、2項と同旨の判決

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和58年5月12日、名称を「血漿の加熱処理」とする発明(以下「本願発明」という。)につき、1982年5月13日にした米国特許出願に基づく優先権を主張して特許出願(昭和58年特許願第83434号)したが、昭和61年9月11日拒絶査定を受けたので、同年12月15日審判を請求し、昭和61年審判第24137号事件として審理された結果、平成6年5月9日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は同年5月16日原告に送達された。

2  本願発明の要旨

第Ⅷ因子を含む実質的に乾燥した組成物中に存在する微生物の感染性を弱め若しくは除去するための該組成物の処理方法であって、微生物の感染性を弱め若しくは除去するのに十分な所定の温度で所定の時間該組成物を加熱することからなる前記処理方法。

3  審決の理由の要点

(1)  本願発明の要旨は前項記載のとおりである。

(2)  これに対して、Blood、Vol.58、No.5、Suppl.I.Abstract No.650(1981年)(以下「引用例1」という。)には、加熱凍結乾燥第Ⅷ因子濃縮物がイン・ビボにおいて第Ⅷ因子を上昇させるか否かをテストするために、第Ⅷ因子欠乏イヌおよび対象イヌに対し、凍結乾燥状態で60℃に10時間加熱し、次いで再構成された第Ⅷ因子濃縮物の1回投与量を注射し、血友病Aイヌにおいて顕著な第Ⅷ因子coagの回復が認められたこと、上記加熱が肝炎ウイルスを有意義に不活化するか否かを決定するために、チンパンジーによる実験を計画していることが記載されている。Thrombosis and Hoemostasis Vol.46 No.1、P.338、Abstract No.1051(1981年)(以下「引用例2-1」という。)には、凍結乾燥第Ⅷ因子を水浴中で60℃に10時間加熱してもこの凍結乾燥粉末中の肝炎ウイルスを実質的に不活化するには不充分であろうという可能性に鑑み、種々の加熱実験を行ったこと、凍結乾燥第Ⅷ因子の100℃における30分間の処理は、著しい暗褐色の変色をもたらし、この実験を放棄せざるを得なかったこと、凍結乾燥第Ⅷ因子生成物の62~64℃における16時間の加熱およびその後の6℃における4週間の保存は、非加熱対照と比較して80%以上の第Ⅷ因子の回収をもたらしたこと、肝炎ウイルスの顕著な不活化にどの程度の加熱温度と時間が必要であるかを決定するために、さらにチンパンジー試験を行なわなければならないことが記載されている。同上P.339、Abstract No.1054(1981年)(以下「引用例2-2」という。)には、凍結乾燥した第Ⅷ因子濃縮物粉末をとり、これを水浴中で60℃に10時間加熱し、加熱後4時間の第Ⅷ因子活性のイン・ビトロ回収に有意な変化が認められないことを証明したこと、これは、第Ⅷ因子の加熱凍結乾燥粉末が肝炎ウイルス伝達のまえもった潜在的な危険を有しないので、注目すべきことであること、加熱が肝炎ウイルスを不活化させるか否かを決定するために、チンパンジーによる研究が計画されていること、凍結乾燥状態の肝炎ウイルスを十分に不活化するには、より長い加熱時間が必要なことは有り得ることであることが記載されている。The Proceedings of the XIV Congress of the WorldFederation of Hemophilia、1981年7月3~7日、Abstract No.FC-5(以下「引用例3-1」という。)には、第Ⅷ因子濃縮物の使用に伴って、肝炎の伝達が高い率で発生することが報告されていること、アルブミンおよび血漿蛋白質分画(PPF)は、60℃で10時間加熱すれば、肝炎を伝達しないことが知られていること、この加熱は肝炎ウイルスを不活化するに十分であること、凍結乾燥第Ⅷ因子濃縮物(Koateコアート)粉末をとり、水浴中で60℃10時間加熱し、次いで再構築して、加熱後4時間に第Ⅷ因子活性のイン・ビトロ回収に実質的な変化が認められないことを証明したことが記載されている。同上No.FC-6(以下「引用例3-2」という。)には、第Ⅷ因子濃縮物の凍結乾燥粉末を62~64℃で16時間加熱し、次いで6℃で7日間貯蔵すると、対照と比較して80%以上の第Ⅷ因子活性の回収を示したこと、凍結乾燥第Ⅷ因子を74℃で13時間加熱し、次いで6℃で6日間貯蔵すると、非加熱対照と比較して50%以上の第Ⅷ因子活性の損失を示したこと、78℃で15時間の凍結乾燥第Ⅷ因子濃縮物粉末の加熱は、該凍結乾燥粉末の激しい黄褐色の変色をもたらしたこと、これは対照よりも溶けにくいものであること、加熱第Ⅷ因子活性の有意な変化を示さないような、最大加熱温度と時間を決定せねばならないこと、この加熱が肝炎ウイルスを有意に不活化できるか否かを決定するため、チンパンジーの実験を計画していることが記載されている。

(3)  そこで、本願発明と各引用例に記載されたものとを対比検討する。

<1> 本願発明は明細書の記載からみて、プール血漿から分画される第Ⅷ因子は肝炎ウイルスが存在するので、血友病患者に危険がないように第Ⅷ因子の凝固活性を減じることなく、肝炎ウイルスなどの微生物の感染性を不活化し、減じ又は除去することを目的とし(同16~19頁)、その目的達成のために、凍結乾燥を包含する実質的に乾燥した第Ⅷ因子を含む組成物を、60℃以上の温度を包含する所定の温度で所定の時間処理する本願発明のとおりの処理方法を採用することにあるものと認められる。

<2> 一方、各引用例に記載のものも、前記記載を合わせてみれば、第Ⅷ因子に存在する肝炎ウイルスを、同因子の活性を保持しながら不活化する目的のために、同因子濃縮物の凍結乾燥物を60℃以上の温度を包含する温度条件で所定時間加熱処理する方法を示しているものと認められる。ただ各引用例に第Ⅷ因子の由来と該処理された同因子の使用対象が明示されていないものの、第Ⅷ因子は人の血友病患者に用いられるものであることは周知のものであることから、第Ⅷ因子は人血漿由来のものであり、処理されたものは血友病患者に用いられることは自明のことと認められる。

<3> そうしてみると、本願発明と各引用例に記載のものは、血友病患者に用いられる第Ⅷ因子の凝固活性を保持してそれに存在する肝炎ウイルスなどの微生物の感染性を除去するために、実質的に乾燥した第Ⅷ因子を含む組成物を微生物の感染性を除去するのに充分な所定の温度で所定の時間加熱処理することからなる処理方法の点で一致し、各引用例には該処理方法により肝炎ウイルスを不活化できるであろうことを示唆しているが、いずれにも、不活化できるかどうか、有効な不活化のための加熱温度と時間の条件はチンパンジー試験を行わなければならないことが記載されているので、各引用例に記載された前記処理方法は前記目的を具体的に達し得る方法としてではなく、達し得るであろうことを示唆された方法として示されている点で本願発明と相違するものと認められる。

(4)  上記相違点について検討すると、<1>ウイルスは一般的に熱に弱いが、凍結乾燥の状態では熱不活化しにくいことも知られており、また肝炎ウイルスは熱抵抗性であることが知られており、第Ⅷ因子との加熱処理でいずれがより熱抵抗性があるかは実際に試験してみなければ判明しないことではあるが、<2>各引用例には前記の目的を達し得ることを示唆する方法として、凍結乾燥した第Ⅷ因子を60℃以上の温度で所定の時間加熱処理することが示されている以上、その示唆に基づいて実際に該目的が達し得るかどうかを確認すること、さらに最適な加熱温度と処理時間を検討することは、当業者が格別の発明力を要することなく容易になし得ることと認められる。

そして、本願発明により奏する効果は、各引用例の記載から予測される範囲内のものであって、格別のものとは認められない。

(5)  以上のとおりであるので、本願発明は、引用例1~3-2の各引用例の記載に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと認められるので、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。

4  審決を取り消すべき事由

審決の理由の要点(1)、(2)は認める。同(3)<1>は認める。同(3)<2>、<3>は争う。同(4)<1>は認める。同(4)<2>、同(5)は争う。

審決は、各引用例の技術内容についての認定を誤って、本願発明は、各引用例の記載に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと誤って判断したものであるから、違法として取り消されるべきである。

(1)  病原性微生物は一般に熱に弱いところから、その感染性を低減させるには、第Ⅷ因子製剤調整の過程でこれを加熱することが考えられる。しかしながら、第Ⅷ因子自体も耐熱性の低いものであるから、加熱によって優先的に病原性微生物の感染性が低減し、第Ⅷ因子は実質的な活性を保持することができるか否かは不明であった。そのような状況下において、本願発明者は、多数の研究実験を繰り返した結果、第Ⅷ因子含有濃縮物を乾燥状態で加熱した場合、適切な温度と時間を選択することによって、病原性微生物の活性を充分に低減せしめ得る一方、第Ⅷ因子の活性を実質的に保持できる事実を見出し、この発見事実に基づいて本願発明を完成するに至ったものである。

ここで重要なことは、本願発明前において、乾燥状態の加熱により第Ⅷ因子の活性を実質的に保持しつつ、病原性微生物のみを不活化することが果して可能であるか否か全く不明であったことである。本願発明者は、多数の研究実験の結果、第Ⅷ因子含有濃縮物を乾燥状態で加熱した場合、適切な温度と時間を選択することによって、病原性微生物の活性を充分に低減せしめる一方、第Ⅷ因子の活性を実質的に保持できる事実を見出したものであり、この点に本願発明の技術的意義が存在する。

(2)  審決は、引用例1ないし同3-2には、第Ⅷ因子に存在する肝炎ウイルスを、同因子の活性を保持しながら不活化する目的のために、同因子濃縮物の凍結乾燥物を60℃以上の温度を包含する温度条件で所定時間加熱処理する方法が示されていると認定し、この認定に基づいて、本願発明は各引用例の記載に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであると判断している。

しかし、これら引用例は、乾燥状態の第Ⅷ因子製剤を60℃、10時間、または62~64℃、16時間加熱した場合、当該製剤中の第Ⅷ因子活性が実質的に保持されることを示すにとどまり、そのような加熱条件で肝炎ウイルスが実質的に不活化されるか否かはもとより、第Ⅷ因子活性を保持したまま肝炎ウイルスを不活化するような加熱条件が存在し得るか否かも定かではないし、また、各引用例には、第Ⅷ因子活性保持の観点から60℃、10時間(より詳しくは62~64℃、16時間)以上の加熱を許容するような示唆は存在せず、示唆されているとすれば、むしろそれ以上の加熱温度は採用するべきではないというものである。すなわち、

引用例1には、凍結乾燥した第Ⅷ因子濃縮物を60℃で10時間加熱しても実質的な第Ⅷ因子活性の損失を示さなかったことが開示されているが、肝炎ウイルスがこのような加熱条件下で不活化されるか否かは示されていない。

もっとも、ここで採用された60℃、10時間の加熱条件は、当時、液体状態の血液製剤に対して一般に適用されていたものであって、このような加熱条件であれば、普通には血液中の活性分を実質的に不活化することなく、病原性微生物を実質的に不活化できると考えられていたものである。したがって、これから引用例1の加熱条件下でも肝炎ウイルスが不活化されるであろうと推測することも不可能ではないが、液体状態であっても60℃、10時間の加熱では肝炎ウイルスの不活性化が必ずしも十分でないとする報告もあり(甲第6号証)、更に、乾燥状態の加熱は液体状態の加熱に比して滅菌効果が弱いとの一般的な認識も存在していたのであるから(甲第7号証)、上記推測は、投機的な期待の域を出ないものである。事実、60℃で30時間または72時間加熱しても、肝炎ウイルスの不活性化には有効でないという報告(甲第8号証)もある。したがって、引用例1に開示された加熱条件は、これを現実に採用したとしても、到底、肝炎ウイルスの不活化を達成することができないものである。

また、引用例2-1は、乾燥状態においては、62~64℃、16時間の加熱でも実質的に第Ⅷ因子活性が失われないことを示しているが、そのような条件下に肝炎ウイルスが不活化されるか否かについては示唆するところがない。更に、このような条件を越える過酷な加熱条件を適用したとき、第Ⅷ因子活性がどうなるかについても、100℃、30分間が不適当であること以外、特に教示するところはない。そして、62~64℃、16時間の加熱では、肝炎ウイルスの不活化が不完全であることは甲第8号証の開示から明らかである。

引用例2-2と引用例3-1は実質的に同一の内容であり、引用例1と同様、乾燥状態で60℃、10時間の加熱が第Ⅷ因子活性の実質的な低下をもたらすものでないことが示されているにすぎない。

更に、引用例3-2は、第Ⅷ因子活性が62~64℃、16時間の加熱(活性80%回収)ならば耐え得るが、それよりも苛酷な74℃、13時間の加熱(活性50%以上損失)あるいは78℃、15時間の加熱(活性99%以上損失)には耐えられないことを示しているにすぎない。

結局、これら引用例を総合すると、それらが示唆するものは、第Ⅷ因子濃縮物を乾燥条件で加熱するにしても、60℃、10時間あるいは62~64℃、16時間程度に止めるべきであり、それ以上の苛酷な加熱条件、例えば73℃、13時間あるいは78℃、15時間は採用すべきでないということである。そして、そのような適用可能な条件下で果して肝炎ウイルスが不活化され得るか否かは、更なる動物実験の必要性を説くのみである。

したがって、上記認定は誤りであり、この誤った認定を前提とする上記判断も誤りである。

(3)  本願明細書(甲第2号証の2)の26頁ないし33頁の第Ⅰ表及び第Ⅱ表には、凍結乾燥した第Ⅷ因子濃縮物を種々の条件下で加熱した後、測定された第Ⅷ因子の活性が示されている。そして、同37頁ないし41頁には、それらの集約結果が記載されている。これらを参照すると、第Ⅷ因子濃縮物の製造業者やロット番号にもよるが、例えば78℃、21時間の加熱の場合、62%の活性が保持され(本願明細書39頁2行ないし6行)、80℃、20時間の加熱の場合、57%の活性が保持され(同頁6行ないし10行)、100℃、1時間及び1.5時間の加熱の場合、52%の活性が保持される(同頁10行ないし14行)結果が得られることが明らかである。

このように、本願発明は、各引用例に示された加熱条件よりも遙かに苛酷な条件であっても、第Ⅷ因子活性が実質的に利用可能な程度に残存し得ることを明らかにすると共に、その結果、肝炎ウイルスのような病原性微生物を実質的に不活化できる加熱条件の選択を可能ならしめるに至ったものである。

上記のとおり、本願発明は、各引用例に開示のない、むしろ採用の否定されているような加熱条件を採用し、それによって引用例開示の加熱条件を適用したのでは到底達成することのできなかった所期の目的(第Ⅷ因子活性を保持しつつ、肝炎ウイルスのような病原性微生物の実質的不活化)を達成しているのであり、各引用例から容易に想到し得るものでないことは明らかである。

(4)  被告は、引用例の示唆に基づき、各ウイルスについて、第Ⅷ因子の活性度を保持しつつ該ウイルスを不活化する条件を実験により求めることは、当業者にとって格別の創意工夫を要することではなく、容易になし得ることである旨主張する。

しかし、加熱処理によって第Ⅷ因子の活性度を保持しつつ、病原性微生物のみを不活化することが可能であるか否かは、本願発明前において不明であったし、それが可能であるか否かを予測することも困難であった。本願発明は、その存在が予測不能であった目的達成の可能性について、その可能性の存在を明らかにした点で特許性を有するものである。

また被告は、上記(3)の主張に関連して、加熱の際の具体的条件(温度、時間)は本願発明の構成要件にはなっていないし、本願明細書には、肝炎ウイルス等のウイルスに対して、いかなる加熱条件を適用すれば、第Ⅷ因子の活性を保持しつつ当該ウイルスを不活化し得るかについての具体的裏付けは見出せないと主張している。

しかし、病原性微生物の種類によって多少とも不活化の加熱条件が異なることは当然のことである。また、本願明細書の記載から明らかなように、第Ⅷ因子製剤はロット番号の違いによって、熱に対する安定性に大きなバラツキがある。したがって、いちがいに加熱条件を定めることは困難である。しかも、当該製剤の適用対象が人体であり、不完全に処理された製剤が肝炎やエイズのような治療困難な疾病を惹き起こす可能性を考えると、当然に各ロット毎に第Ⅷ因子の活性と病原性微生物の不活化を試験して、実用に耐え得るものか否かを確認することが必要である。

他方、本願発明によって、一般に第Ⅷ因子活性を実質的に保持しつつ、病原性微生物を不活化する加熱条件が存在しうることが明らかにされた以上、本願発明の目的を達成するための具体的加熱条件を定めることは、それこそ当業者にとって、何ら格別の創意、工夫を要することなく、容易になし得ることといわなければならない。

第3  請求の原因に対する認否及び反論

1  請求の原因1ないし3は認める。同4は争う。審決の認定、判断は正当であって、原告主張の誤りはない。

2  反論

(1)  各引用例に記載されている加熱処理は、いずれも当該加熱処理により肝炎ウイルスを実質上不活化しつつも、第Ⅷ因子活性は保持されていなければならない、その目的を達成せんがために種々の加熱実験を行った結果を示したものであり、あるいはまた、その結果を受け、更に進めるべき実験の方向を指し示しているものである。

確かに、各引用例には、第Ⅷ因子は実質的な活性を保持しつつ病原性微生物の感染性を実質的に不活化させることの確定した条件が記載されているわけではない。ウイルスは、一般的には熱に対して弱いといわれているものの、多種類存在するウイルスが一様に(同一条件で)不活化されるわけではなく、比較的熱に強いものもあれば、逆に熱に弱いものもあり、正確な不活化条件は各ウイルスについて実際に実験をしてみなければ判明しないことは事実である。

しかしながら、引用例には、凍結乾燥した第Ⅷ因子の活性度が、60℃以上で所定時間の加熱処理でも保持され得ることが示され、更にウイルス不活化の条件を実験により確認することが必要である旨記載されているところであり、かかる示唆に基づき、各ウイルスについて、第Ⅷ因子の活性度を保持しつつ該ウイルスを不活化する条件を実験により求めることは、当業者にとって何ら格別の創意工夫を要することではなく、容易になし得ることである。

(2)  原告は、本願発明前において、乾燥状態の加熱により第Ⅷ因子の活性を実質的に保持しつつ、病原性微生物のみを不活化することが果して可能であるか全く不明であった旨、また、本願発明者は、第Ⅷ因子含有濃縮物を乾燥状態で加熱した場合、適切な温度と時間を選択することによって、病原性微生物の活性を充分に低減せしめる一方、第Ⅷ因子の活性を実質的に保持できる事実を見出した旨主張する。

しかし、例えば、引用例2-1には、60℃、10時間という条件によって凍結乾燥第Ⅷ因子を加熱したのでは、凍結乾燥粉末中の肝炎ウイルスを実質的に不活化するには不十分であろうという可能性に鑑み、他の種々の条件、例えば100℃、30分、62~64℃、16時間を用いて、凍結乾燥第Ⅷ因子粉末を加熱処理することが記載され、更に、「チンパンジー実験を行って、肝炎ウイルスの顕著な不活化にどの程度の加熱温度及び時間が必要かを決定しなければならない。」と、具体的に不活化のための検討事項が記載されている。もしこの時点において、原告が主張するように「乾燥状態の加熱により第Ⅷ因子の活性を実質的に保持しつつ、病原性微生物のみを不活化することが果して可能であるか否かは全く不明」であるならば、肝炎ウイルスの顕著な不活化のため加熱温度と時間を決定しようとすることはあり得ないことである。

したがって、引用例2-1においては、凍結乾燥第Ⅷ因子の活性保持及び肝炎ウイルスの不活化の両立について検討することが必要であることが示されているのである。そして、このことはとりもなおさず、引用例2-1の頒布時において既に、原告がいう「第Ⅷ因子の活性を実質的に保持しつつ、病原性微生物のみを不活化すること」が、加熱温度及び加熱時間に関する条件を選択することにより可能であろうと認識されていたことを示しているのであるから、原告の主張は理由がない。

また原告は、適切な温度と時間を選択することによって、病原性微生物の活性を充分に低減せしめ得る一方、第Ⅷ因子の活性を実質的に保持できる事実を見出し、この発明を完成するに至った旨主張する。

しかし、加熱の際の具体的条件(温度、時間)は本願発明の構成要件になっていない。しかも、本願明細書には、これを精査するも、肝炎ウイルスはもとより他のウイルスに対しても、いかなる加熱条件を適用すれば、第Ⅷ因子の活性を保持しつつ当該ウイルスを不活化し得るかについての具体的裏付けは何ら見出し得ない。

第4  証拠

本件記録中の書証目録記載のとおりであって、書証の成立はいずれも当事者間に争いがない。

理由

1  請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、同2(本願発明の要旨)、同3(審決の理由の要点)、及び、審決の理由(2)(各引用例の記載事項)については、当事者間に争いがない。

2  そこで、原告主張の取消事由の当否について検討する。

(1)  本願発明は、プール血漿から分画される第Ⅷ因子は肝炎ウイルスが存在するので、血友病患者に危険がないように第Ⅷ因子の凝固活性を減じることなく、肝炎ウイルスなどの微生物の感染性を不活化し、減じ又は除去することを目的とし、その目的達成のために、凍結乾燥を包含する実質的に乾燥した第Ⅷ因子を含む組成物を、60℃以上の温度を包含する所定の温度で所定の時間処理する本願発明のとおりの処理方法を採用することにあることは、当事者間に争いがない。

(2)  上記1の争いのない事実、及び甲第3ないし第5号証によれば、各引用例には以下のとおり記載されていることが認められる。

<1>  引用例1には、「血友病AおよびBイヌにおける加熱処理・凍結乾燥第Ⅷ因子濃縮物および第Ⅸ因子濃縮物の実験」との表題で、「加熱凍結乾燥第Ⅷ因子濃縮物がイン・ビボにおいて第Ⅷ因子coagを上昇させるか否かをテストするために、第Ⅷ因子欠乏イヌおよび対照イヌ(略)に対し、凍結乾燥状態で60℃に10時間加熱し、次いで再構成された第Ⅷ因子濃縮物の1回投与量を注射した。血友病Aイヌにおいて顕著な第Ⅷ因子coagの回復が認められ、分布した脈管内凝固の実験的証拠は認められなかった。・・・上記加熱が肝炎ウイルスを有意義に不活化するか否かを決定するために、チンパンジーによる実験を計画している。」と記載されている。

<2>  引用例2-1には、「加熱処理・凍結乾燥第Ⅷ因子濃縮物一追加予備イン・ビトロ実験」との表題で、「凍結乾燥第Ⅷ因子を水浴中で60℃に10時間加熱してもこの凍結乾燥粉末中の肝炎ウイルスを実質的に不活化するには不充分であろうと言う可能性に鑑み、種々の加熱試験を行った。凍結乾燥第Ⅷ因子の100℃における30分間の処理は、著しい暗褐色の変色をもたらし、この実験を放棄せざるを得なかった。凍結乾燥第Ⅷ因子生成物の62~64℃における16時間の加熱およびその後の6℃における4週間の保存は、非加熱対照と比較して80%以上の第Ⅷ因子の回収をもたらした。・・・明らかに、肝炎ウイルスの顕著な不活化にどの程度の加熱温度と時間が必要であるかを決定するために、さらにチンパンジー試験を行わなければならない。」と記載されている。

<3>  引用例2-2には、「加熱処理・凍結乾燥第Ⅷ因子濃縮物および第Ⅸ因子濃縮物―予備的イン・ビトロ実験」との表題で、「凍結乾燥した第Ⅷ因子濃縮物粉末をとり、これを水浴中で60℃に10時間加熱し、加熱後4時間の第Ⅷ因子活性のイン・ビトロ回収に有意な変化が認められないことを証明した。・・・これは、第Ⅷ因子と第Ⅸ因子のこの加熱凍結乾燥粉末が肝炎ウイルス伝達の前もった潜在的な危険を有しないので、注目すべきことである。・・・加熱が肝炎ウイルスを不活化させるか否かを決定するために、チンパンジーによる研究が計画されている。凍結乾燥状態の肝炎ウイルスを十分に不活化するには、より長い加熱時間が必要なことは有り得ることである。」と記載されている。

<4>  引用例3-1には、「加熱処理・凍結乾燥第Ⅷ因子濃縮物、予備実験」との表題で、「第Ⅷ因子濃縮物の使用に伴って、肝炎の伝達が高い率で発生することが報告されている。また、アルブミンおよび血漿蛋白質分画(PPF)は、60℃で10時間加熱すれば、肝炎を伝達しないことが知られている。この加熱は肝炎ウイルスを不活化するのに十分である。・・・凍結乾燥第Ⅷ因子濃縮物(Koateコアート)粉末をとり、水浴中で60℃に10時間加熱し、次いで再構成して、加熱後4時間に第Ⅷ因子活性のイン・ビトロ回収に実質的な変化が認められないことを証明した。」と記載されている。

<5>  引用例3-2には、「加熱処理・凍結乾燥第Ⅷ因子濃縮物―追加イン・ビトロ実験」との表題で、「第Ⅷ因子濃縮物の凍結乾燥粉末を62~64℃で16時間加熱し、次いで6℃で7日間貯蔵すると、対照と比較して80%以上の第Ⅷ因子活性の回収を示し ・・・た。凍結乾燥第Ⅷ因子を74℃で13時間加熱し、次いで6℃で6日間貯蔵すると、非加熱対照と比較して50%以上の第Ⅷ因子活性の損失を示した。・・・78℃で15時間の凍結乾燥第Ⅷ因子濃縮物粉末の加熱は、該凍結乾燥粉末の激しい黄褐色の変色をもたらしたが、これは対照よりも溶けにくいもので、第Ⅷ因子活性は破壊され、活性は1%以下であった。明らかに、加熱第Ⅷ因子と非加熱対照の間で第Ⅷ因子活性の有意な変化を示さないような、最大加熱温度と時間を決定せねばならない。この加熱が肝炎ウイルスを有意に不活化できるか否かを決定するため、チンパンジーの実験を計画している。」と記載されている。

上記認定の事実によれば、各引用例には、加熱処理により、第Ⅷ因子の活性を保持しながら、肝炎ウイルスを不活化するという目的を達成するために行われた実験結果、及び、凍結乾燥した第Ⅷ因子の活性が60℃以上で所定時間の加熱処理でも保持され得ることが記載され、そして、肝炎ウイルスは加熱により不活化し得ることが示唆され、不活化の条件(加熱温度と時間)については実験により確認することが必要であることが示されているものと認められる。

したがって、「各引用例に記載のものも、・・・第Ⅷ因子に存在する肝炎ウイルスを、同因子の活性を保持しながら不活化する目的のために、同因子濃縮物の凍結乾燥物を60℃以上の温度を包含する温度条件で所定時間加熱処理する方法を示しているものと認められる。」(甲第1号証7頁17行ないし8頁3行)とした審決の認定に誤りはない。

そして、各引用例には第Ⅷ因子の由来と処理された同因子の使用対象は明示されていないが、乙第1、第2号証によれば、第Ⅷ因子は人血漿由来のものであって、処理されたものが血友病患者に用いられることは周知であると認められる。

そうすると、各引用例に記載のものについての上記認定を前提とする、審決の一致点及び相違点の認定についても誤りはないものというべきである。

(3)  ところで、ウイルスは一般的には熱に弱いが、凍結乾燥の状態では熱不活化しにくいことも知られており、また肝炎ウイルスは熱抵抗性であることが知られており、第Ⅷ因子との加熱処理でいずれがより熱抵抗性があるかは実際に試験してみなければ判明しないものであることは、当事者間に争いがない。

しかし、上記(2)に認定のとおり、各引用例には、第Ⅷ因子の活性を保持しつつ肝炎ウイルスを不活化するために、凍結乾燥状態における加熱処理が示唆されているのであるから、この示唆に基づいて、実際に本願発明の上記(1)の目的が達し得るものであるかどうかを確認すること、さらに最適な加熱温度と処理時間を検討することは、当業者にとって容易になし得ることと認められる。

したがって、これと同旨の審決の判断に誤りはないものというべきである。

(4)<1>  原告は、本願発明前において、乾燥状態の加熱により第Ⅷ因子の活性を実質的に保持しつつ、病原性微生物のみを不活化することが果して可能であるか否か全く不明であったが、本願発明者は、第Ⅷ因子含有濃縮物を乾燥状態で加熱した場合、適切な温度と時間を選択することによって、病原性微生物の活性を充分に低減せしめる一方、第Ⅷ因子の活性を実質的に保持できる事実を見出したものであるとして、本願発明の技術的意義を強調する。(請求の原因4(1))

しかし、各引用例の上記記載を総合すると、本願発明前において、乾燥状態の加熱により第Ⅷ因子の活性を実質的に保持しつつ病原性微生物のみを不活化することが、加熱温度と加熱時間を選択することによって可能であろうと認識されていたものと認められ、病原性微生物のみを不活化することが可能であるか否か全く不明であったというのは当たらない。

<2>  原告は、各引用例は乾燥状態の第Ⅷ因子製剤を60℃、10時間、または62~64℃、16時間加熱した場合、当該製剤中の第Ⅷ因子活性が実質的に保持されることを示すにとどまり、そのような加熱条件で肝炎ウイルスが実質的に不活化されるか否かはもとより、第Ⅷ因子活性を保持したまま肝炎ウイルスを不活化するような加熱条件が存在し得るか否かも定かではないし、また、各引用例には、第Ⅷ因子活性保持の観点から62~64℃、16時間以上の加熱を許容するような示唆は存在せず、示唆されているとすれば、むしろそれ以上の加熱温度は採用するべきではないというものであるなどと縷々主張して、審決の「各引用例に記載のものも、・・・第Ⅷ因子に存在する肝炎ウイルスを、同因子の活性を保持しながら不活化する目的のために、同因子濃縮物の凍結乾燥物を60℃以上の温度を包含する温度条件で所定時間加熱処理する方法を示しているものと認められる。」との認定の誤り、及びこの認定を前提とする本願発明の容易推考性の判断の誤りを主張する。(請求の原因4(2))

各引用例には、凍結乾燥した第Ⅷ因子濃縮物を60℃、10時間、あるいは62~64℃、16時間加熱しても第Ⅷ因子の活性が保持され得ることが示されてはいるものの、そのような条件下で病原性微生物が実質的に不活化されることまでは示されてはいないし、病原性微生物を不活化させるための具体的な条件が示されているわけでもない。

しかし、審決は、上記のような条件下で病原性微生物が実質的に不活化されることが示されているとか、あるいは病原性微生物を不活化させるための具体的な条件が記載されているものとして、各引用例を挙示しているわけではない。各引用例記載のものも、加熱処理により、第Ⅷ因子の活性を保持しつつ肝炎ウイルスを不活化するという目的を達成するために行われたものであり、各引用例には、凍結乾燥した第Ⅷ因子の活性が60℃以上で所定時間の加熱処理でも保持され得ることが記載され、肝炎ウイルスを加熱により不活化し得ることが示唆されていることを基に、上記認定に及んでいるものと認められるのであって、この認定に誤りがあるということはできない。そして、各引用例に上記のような示唆があり、肝炎ウイルスの不活化の条件(加熱温度と時間)については実験により確認することが必要であることが示されているのであるから、最適な加熱温度と処理時間を検討することは、当業者にとって容易になし得ることと認められる。

なお、引用例3-2には、凍結乾燥第Ⅷ因子を74℃で13時間加熱した場合、78℃で15時間加熱した場合には、著しい第Ⅷ因子活性の損失を示したことが記載されているが、この事実をもって、上記認定、判断が誤りであるとすることはできない。

<3>  原告は、本願発明は各引用例に開示のない、むしろ採用の否定されているような加熱条件を採用することによって、引用例開示の加熱条件を適用したのでは到底達成することのできない所期の目的を達成したものである旨主張する。(請求の原因4(3))

しかし、本願発明は、第Ⅷ因子を含む実質的に乾燥した組成物を加熱する際の具体的な条件(温度、時間)を構成要件とするものではない。そして、本願明細書(甲第2号証の2)に本願発明の実施例として記載されている第Ⅰ表ないし第Ⅵ表は、第Ⅷ因子濃縮物を凍結乾燥状態で加熱した場合の凝固因子活性が保持されることを示すイン・ビドロ又はイン・ビボの実験結果を示すものであって、第Ⅷ因子の活性を損なうことなく、肝炎ウイルス等のウイルスの不活化を達成し得ることを具体的に裏付けるものではない。

したがって、原告の上記主張は、本願明細書の記載に基づかないものであって失当である。

(5)  以上のとおりであるから、本願発明は各引用例の記載に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと認められるとした審決の判断に誤りはなく、原告主張の取消事由は理由がない。

3  よって、原告の本訴請求は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担及び上告のための附加期間の定めについて、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条、158条2項を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤博 裁判官 濵崎浩一 裁判官 市川正巳)

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